NIジャパンブログ

【翻訳記事】<今月の編集者の巻頭言>創刊500号 ― 勇気と変化の時


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ニュー・インターナショナリスト・マガジン今月の編集者
左からバネッサ・ベアード、ディンヤール・ゴドレイ、ヘーゼル・ヒーリー



当初人々は、ニュー・インターナショナリストの若き創設者たちに向かって、そんな雑誌は長続きしないだろうと言っていました。

「主な問題は、国際開発に関する雑誌がやっていけると誰も考えていなかったことです」。若き創設者のひとり、ピーター・アダムソンは当時をこう振り返ります。「私たちは、NIのような雑誌でも多くの十分な潜在的読者がいる、という考えを信じて努力しました」

そして44年が過ぎましたが、ニュー・インターナショナリストは現在も続いており、今も1973年当時と同じように社会的意味のあるグローバルな正義というテーマで取り組んでいます。

この道のりは平坦ではありませんでした。ニュー・インターナショナリストの継続が危ぶまれることは何度もありました。ある時期には、2名のスタッフが自宅を再抵当に入れて発行を続けました。しかしまたある時期には、世界での定期購読者数が8万人を越えました。

この雑誌が存続している理由は、マーケティングと財務計画に通常以上に気を配ったことだけではありません。この雑誌が持つ「人々、アイデア、行動を、グローバルな正義のために」報道するという目的もその理由です。そしてさらには、変化は可能だということを根本的に信じていることもあります。

変化を促すものをひとつ挙げるとすれば、それは勇気ということになるでしょう。そして、今回の記念すべき500号では、「勇気」に焦点を当てることにしました。本号の中では、変化を起こすためなら身体への危害や命を落とすリスクも顧みないという勇敢な人々を取り上げました。今回は、あえて一般メディアでは取り上げられていない人々を探したため、彼らのことを初めて知るという人も多いでしょう。

ニュー・インターナショナリストは、メインストリームな(主流派の)組織ではありません。私たちのニュースの価値は、横並びの企業メディアとは異なることもしばしばです。他のメディアが無視する話題でも、ニュー・インターナショナリストは取り上げます。私たちは、報道の背後で糸を引くような所有者がいるメディアではありません。広告は、一定の倫理的基準を満たしたもののみを掲載しています。私たちが出版する書籍も、雑誌と同じ編集方針で制作されています。そして私たちの通信販売であるエシカルショップは、環境に配慮した物、公正な貿易を通じた物を販売しています。

つまり私たちの活動の継続は、すべてが読者、支援者、制作協力者にかかっているのです。そんなみなさんに、大変重要な時期を迎えたNIからお願いがあります。

多くの雑誌や新聞が苦境に立たされていることは周知のことです。インターネットの登場により、メディアの状況は一変しました。良い点は、NIのウェブサイトにも年間約200万人が訪れ、より多くの人々に読んでもらえるようになったことです。

しかし無料で記事が読める時代、印刷した雑誌を読者が購入するというビジネスモデルでは、得られるものはほんのわずかです。過去数カ月、定期購読者数はほぼ横ばいから微増程度で、雑誌の存続には十分ではありません。

以上のような理由から、今回Community Share Offerという特別な支援方法を発表しました。これは、みなさんのような一般の人々が、ニュー・インターナショナリストに出資してその一部を所有するという方法です。今回採用したのは、すでにいくつかの小規模な出版物で行われて成功例があるもので、独立したメディアに資金を提供する新たな仕組みです。

メディアは、状況をもてあそぶ一握りのメディア王の手に委ねるには重要すぎるものです。民主主義は複数のメディアを必要としており、幅広い所有の形はそれも可能にします。

みなさんは今、この方法で変化を後押しすることができ、自分が望む形式のメディアの一員になることもできます。一緒になって世界中のルパート・マードックのような人々に立ち向かうこともできます。ドナルド・トランプが米国の大統領に就任し、世界中に右派ナショナリズムが広がっており、「new internationalism(新たな国際協調主義)」の必要性がかつてないほど高まっています。

みなさんは私たちと一緒に、「そうだ、より良いメディア、より良い世界は可能だ」と歌うコーラスに加わることができます。ぜひ一緒に、その未来に投資しましょう。◆

 バネッサ・ベアード、ディンヤール・ゴドレイ、ヘーゼル・ヒーリー

...もう一言

今私たちは、人々を分断させるメディアではなく、団結させるメディアを作ることが不可欠な時期を迎えています。それは、排除のないグローバルなコミュニティーを構築し、一般の人々の苦闘とは、いつものエリートたちが推進するグローバル化への積極的反対であることを強調し、グローバルな公益に関してそんな人々と熱き思いを共有するジャーナリズムのことです。

ニュー・インターナショナリストは、すべきことをいろいろと指図する裕福な後援者、メディア帝王からの支援を受けたことはありません。何らかのより良い報道のために、そのようなジャーナリズムを形作る後押しをするために、私たちが読者のみなさんに支援をお願いすることは理解してもらえると信じています。

3月1日私たちは、世界中の一般の人々にニュー・インターナショナリストの所有権を開放するCommunity Share Offerという大胆なキャンペーンを開始しました。もし参加に関心があれば、次のウェブサイトをご覧ください。
factsandheart.org


NIブログ記事Our 500th issue – time for courage and change の翻訳です。


  1. 2017/03/20(月) 14:23:20|
  2. お知らせ一般

【翻訳記事】フィランソロキャピタリズムに気をつけろ(援助)


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画像をクリックすると、本記事のもとになったランセット誌の論文"The black box warning on philanthrocapitalism"のページが開きます。


2016年9月、Facebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグは、2100年までに「すべての病気を治療、予防、そしてコントロールするために」30億ドルを投資すると発表した。グローバルな保健分野への新規参入者となる通称「フィランソロキャピタリズム」[訳注:企業による社会貢献活動のことを指す「フィランソロピー」と「キャピタリズム(資本主義)」の造語]は、世界の貧困層に必ず恩恵をもたらすものなのだろうか? ジョカリン・クラークとリンゼイ・マッギーは、11月号のランセット誌[訳注:世界でも評価の高い学術的な医学専門誌]でいくつもの懸念を示した。

一つ目は、フィランソロキャピタリストの説明責任が、多くの場合不十分であることが分かったということだ。たとえばザッカーバーグは、彼の資金を民間企業を通じて流している。だがその企業は、慈善事業を規制する法律の対象外で、営利目的の事業に投資することも可能な上、彼が個人的な目的追求のために利用することも規制されず、カネの流れを公にする義務もない。

二つ目は、資金提供者の基金が、課税を免れることができる点だ。これは国庫からの収奪となる。現在、政府の責務が民間財団に移行されてしまい、国が援助への参画から手を引いていくという流れが懸念されているが、それを加速させるものである。

最後に、その論文の執筆者たちは、選挙で選ばれていないフィランソロキャピタリストたちが、世界の保健と開発の政策に関する意思決定に影響を及ぼすことを危惧し、より強力で独立した監視を求めている。◆


2017年1/2月合併号NI499p9 Beware philanthrocapitalism (AID) の翻訳です。c499-100.jpg



  1. 2017/02/28(火) 22:52:53|
  2. ビジネス・企業

【翻訳記事】ミツバチにやさしい農業でより健やかな未来へ


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(画像をクリックするとNIの英語記事のページが開きます)


 送粉者(受粉媒介者)が元気で作物が豊かに実るよう取り組むイタリアの有機農家

ジョルジォ・バラカニは、朝の光と花々の香りを追いかけながらひと晩中運転してきた。他の養蜂家たちと会うためにサービスエリアに少しだけ立ち寄り、黄色いヒマワリ畑と青い海がまだら模様に見える丘へと向かう。

バラカニが向かう丘は、ローマから300キロのマルツォッカの近くにある。彼は24年以上にわたり、転地養蜂[訳注:蜜源の開花時期に合わせて移動しながら行う養蜂]を営んできた。350個の巣箱を所有し、作物が花をつける時期に農家に巣箱を20日間ほど貸し出し、巣箱1個あたり平均32ユーロ(35ドル)を稼ぐ。

バラカニは、夜の間に巣箱数箱を小型トラックに積み、畑に運ぶ。農民たちは、果樹や野菜の花が咲く時期になると授粉を依頼する。それが、作物の品質と収量の向上を促すのだ。このことは、果物と野菜の2015年の売り上げが前年比で野菜5%以上、果物3%以上増加した(イタリア全国農業者連盟の統計による)国にとって、大きな意味を持つ。

転地養蜂は、いろいろな種類のはちみつを生産したいという思いから生まれたが、やがて作物の改良やミツバチの命を守る目的で行われるようになった。バラカニは、2008年にイタリアでミツバチが大量死したことを説明した。ハチは、使用された農薬の中でも特にタネ用トウモロコシに使われたネオニコチノイド系農薬によって方角が分からなくなり、帰巣ルートが見つけられず、最後には死んでしまったのだという。これを受け政府は、予防的措置としてこれらの物質を禁止し、この問題について調査を始めた。

「アペネット・アンド・ビーネットという国のプログラムでとられた措置の結果、問題は減ってきています」と言うのは、ボローニャ大学の昆虫学者で、このプログラムの責任者のひとりでもあるクローディオ・ポリーニだ。しかし欧州食品安全機関(EFSA)のアニエス・ロータイスは、この程度の減少では不十分だ、と説明する。「ハチの死因は複数あり、その影響は場所や季節によってさまざまです」。彼は死因について、「化学的栄養的な状態、気候変動、病気、不適切な養蜂法、環境資源の不足」などがあると言う。

イタリアのはちみつの生産量は、2011年から70%近くの減少となり、イタリア全国養蜂家委員会(Conapi)は警鐘を鳴らす。ハチという送粉者にとって深刻な痛手となったのは、広大な土地に1種類の作物だけを栽培する単一作物栽培の導入だ。

単一作物栽培はハチには適さない、と説明するのは、「生物多様性のためのスローフード協会」のセレナ・ミラノだ。ハチは、その免疫システム維持のために異なる種類の花粉を食べる必要がある。バラカニが小型トラックで移動するイタリア中央部のポー平原は、残念ながらトウモロコシ、小麦、人参、タマネギ、アルファルファなどの単一作物の畑で埋め尽くされているような場所だ。 しかし、地域の複数の作物の生産性を上げるには、混合栽培農業を行い、転地養蜂を継続していくことが不可欠だ。

ジョルジォ・バラカニのストーリーをマンガで読む(ISSUUのサイトへ)


 アルプスからの景色

世界で初めて住民投票によって農薬の使用禁止を決めたマレの町の話をヨハネス・フラグナーが語っている時、教会の鐘が高らかに鳴り響いた。フラグナーは薬剤師で、スイスから10キロ、オーストリアから20キロに位置するこの小さなアルプスの町の中心部に住み、そこで働いている。この町は、ヨーロッパでも果物生産に力を入れている最大の地域のひとつだ。だが、マッレスの住民たちは、町の景色の中にりんごの木一色の場所が現れるような集約農業を望まなかった。

フラグナーは、2014年の住民投票実施を呼びかけた住民のひとりだ。 住民の4分の3が投票し、そのうちの76%が農薬不使用の町に暮らすという選択に票を投じた。「この考えは2010年に生まれました。地元の有機栽培農家たちは、近隣の畑で使用された農薬で汚染された草が風で飛んできて、それを飼っている牛たちが食べるのではないかと不安を感じていました」とウルリッヒ・ベイス町長は語る。 投票後、住民の意思を反映して条例が変更された。違反者には300〜3,000ユーロ(325〜3,250ドル)の罰金が課される。

参考記事:Little insects, big impact. How Indian farmers are improving productivity, and lives, by introducing bee hives to their fields.(小さな昆虫、大きな影響。ハチの巣箱を畑に置くことで、インドの農民たちはいかにして生産性と生活を改善しているのか。)

農業に許された選択肢は、将来の生物多様性を尊重すること以外になく、ミツバチはそれに不可欠な指標であることを、フラグナーと仲間の住民たちは十分に理解している。「送粉者の働きがなければ、食物連鎖の重要な部分が失われることになるかもしれない。そうなれば、私たちの食生活に影響するでしょう」と語るのは、全国イタリア養蜂家組合協会(Unaapi)会長のフランチェスコ・パネラだ。 「ミツバチは、将来の食料生産を約束してくれます。しかし、私たちはより持続可能な農業モデルを構築する必要があります」。この方向性は科学界も支持する。「食料は命と同じように考えるべきであり、危険物質であってはなりません」と言うのは、腫瘍専門医で、農薬が人間に与える影響の研究も行っている「環境のための国際医師協会(ISDEイタリア)」メンバーでもあるパトリツィア・ジェニリーニだ。「農薬購入1ドルに対し、その影響に対応するための衛生と社会的なコストとしてさらに2ドルが必要です」

マッレスは、環境にやさしい農業の道を進んでおり、他の地域もその道を歩み始めている。フランスでは今年、ネオニコチノイド禁止を目的に生物多様性に関する法律の改正が承認された。それは、2018年に施行される。

ヨハネス・フラグナーのストーリーをマンガで読む(ISSUUのサイトへ)

翻訳:セシリア・ガルシア


Hunger4Beesは、ヨーロッパ・ジャーナリズム・センターの「開発報道におけるイノベーション助成プログラム」(ジャーナリズム助成プログラム)との共同プロジェクトである。

by ダニエラ・フレチェロウ、モニカ・ペリッチャ、アデリーナ・ザーレンガ


NIブログ記事A bee-friendly path to a healthier future の翻訳です。


翻訳協力:斉藤孝子


  1. 2017/02/27(月) 23:16:27|
  2. 健康・食・農業

【翻訳記事】旅の終わり


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写真は1985年、28歳のマリアマ・ガネマ。
(画像をクリックするとNIの英語記事のページが開きます)




今回クリス・ブレイザーは、1985年から10年ごとに訪問している西アフリカのブルキナファソの村を再訪した。

サブテンガ村に続く新しい道路ができていた。私はとても慎重にその道路をミニバイクで旅したが、素晴らしいことに危険な目に遭うことは全くなかった。時代とともに変わる私の交通手段は、地域の開発を反映している。

1985年、私は撮影スタッフの一員として初めてこの地を訪れた。その当時は、現地で依頼した四輪駆動車に機材を積み、川を渡って村へ行った。村の中では徒歩であちこち歩き回った。1995年に私が初めてひとりで訪問した時は、どこへ行くにも徒歩だった。ガランゴの町まで4キロメートルの道のりを歩き、村の周囲も毎日かなりの距離を歩き回った。2005年、私はガランゴの町に滞在し、市場で買った自転車で村へ行き、その周囲を回り、自転車は帰国の時に人に譲った。

私は今回も同じようになるだろうと考えていたところ、私の訪問に不可欠な協力をしてくれたダクパ協会という地元の優れたNGOが、私に原動機付交通手段を用意してくれた。

 はるかかなたの世界

1985年夏、私は30歳の誕生日をサブテンガ村で迎えた。当時私はニュー・インターナショナリスト内ではどちらかといえば新入りのスタッフで、その時は出演者探しの仕事を与えられていた。それは、TV用ドキュメンタリーフィルム『Man-Made Famine(人間が生み出した飢餓)』撮影のため、カメラの前で自分の生い立ちや境遇などを語ってくれる女性農民を探すというものだった。当時、革命の騒動の真っただ中にあったブルキナファソで、私は現場の成り行き任せで女性を探そうとしていた。しかし、適任の女性が南東部のガーナとトーゴーとの国境近くのサブテンガ村にいるということが分かったのは、私の努力ではなく監督のつてによるものだった。私は撮影には何の役にも立たないスタッフとなってしまった。そんな状況もあり、私はしばしば単調になる撮影に付き合うことをせず、マリアマ・ガネマというい若い女性と一緒に村を歩き回ることにした。当時マリアマは、地元の革命防衛委員会の女性代表に選出されていた。また、私の通訳兼ガイドを務められるだけの十分なフランス語を学校で習っていた。

その後私は、人として、そしてジャーナリストとして、無数の幸運によって素晴らしい機会に恵まれたことにすぐに気づいた。その村の生活は、欧米諸国の生活とは想像以上にかけ離れたもので、住民は自給自足の農業で生活し、サヘル[訳注:サハラ砂漠南縁部の半乾燥地帯]の気難しい大地から収穫できる作物でなんとかやっていた。ほとんどの人々は畑で使う家畜も持っていないようで、ダバスと呼ばれるくわを持って大地を耕すという骨の折れる作業を行っていた。水は、頭に乗せた大きな容器に入れて井戸から運び、しばしば遠くの井戸から運ばれてきた。ほとんどの家庭では、まぎれもなく男性が世帯の主となっており、複数の妻を持つことも珍しくはなかった。そして村には、学校も保健センターも存在しなかった。

これを言い換えれば、本誌の中でいつも議論しているような村、あるいは国連や世界銀行といった権力層が思い描く「開発」を経験したことのない村である。

村の生活は、文化や富という意味でも欧米の生活とはかけ離れているが、私の故郷の人々とサブテンガ村の人々の間の共通点らしきものを発見し、正直なところ驚いた。それでも私はグローバルな正義と公正という概念に強くこだわっており、すべてのアフリカ人を十把ひとからげにして同じ箱に入れ、「貧困、飢餓、紛争など」というラベルを貼っていた。この点で私は依然として罪を背負っていた。今では私も、単なる知識というよりも、心情的に理解していることがある。それは、誰にでもその個人に特有の語るべき物語があり、その多くは困難な中でも生きていくということにまつわる物語で、家族と友人から強さと支えを得ていることにも関連する話だということだ。私は後にこう記した。「いったんその村の中に足を踏み入れれば、そこでの生活が可能であることに気付くだけでなく、そこにはあらゆる人間ドラマが繰り広げられていることが分かり、人々の姿がいきいきと浮かび上がる。アフリカの村人たちの姿は、論文の中の統計や意図的なイメージで出版物に描かれている姿とは違って見えてくる。彼らは現実に肉体と感情を持ち、単なるひどく痛々しい最期だけではなく、誕生と日常の営みもあることが分かる。人々は愛し、笑い、踊り、夢を抱き、苦しみ、喜ぶが、これらのことは私たちと何ら変わらないのだ」

一言で言えば、物質的、文化的に大きな隔たりがある中で、私は友人を得ることが可能だと感じたのだ。もちろん、マリアマはその鍵となる人物だった。彼女は驚くほど惜しみなく時間を割いてくれて、彼女自身の人生と物事への向き合い方について包み隠さず実に率直に語ってくれた。通常は外からやってきたジャーナリストには困難なあらゆることが、村における彼女の人気や尊敬のため可能になった。

1985年のサブテンガ村での私の経験は、私の世界の見方を変え、その後10年間執筆したものにも一定の方向性を与えた。しかしそれでも、この貴重な機会を十分に活用できていないと感じた私は弊誌編集部に訴え、次の10年の「開発」の歩みがコミュニティーの生活にもたらす変化を取材するため、1995年に私が現地取材できるよう説得を試みた。

 カミソリの終わり

村人たちと郵便でやりとりすることが不可能と分かり、どうすればいいいのか、私が出会った人々が無事でいるのかをどうやって確かめられるのか、私は途方に暮れた。私が最初に訪問した1985年は、雨が降らず食料の備蓄は徐々に減ってほとんど底をついた。この国の貧困と保健に関する全般的に悲惨な統計を読めば、どんな災難が起きても不思議ではなかった。さらには、腐敗した次期大統領ブレーズ・コンパオレによって平等主義的な革命がつぶされた。彼は1987年、元同胞であり、未来への理想的な道のりを明確に持っていたトーマス・サンカラを殺害し、その後は昔から変わらない私腹を肥やす道のりを進んだ。

だがとても喜ばしいことに、私が主に連絡をとっていた人々は無事で元気にしていることが確認できた。さらには、開発という意味でも喜ばしい変化を多数報告することができた。今では村にも3つの教室を備えた学校ができたものの、それでも必要な教室数の半分である。だが、いずれにしろ前進している証ではある。そして「診療所」は、これまでずっと薬はなくスタッフも不在のままだったが、現在は看護師と彼の妻がアシスタントとして働いて保健センターとして完全に機能しており、とりわけ母子保健に関する取り組みに積極的になっている。

そこでの出産の多くを取り上げたのはマリアマである。彼女はわずかな給料をもらいながらフルタイムのアシスタント保健スタッフとして働いた。彼女は専門の研修は受けていないが、仕事を通じて学んでいった。

彼女はその時38歳となり、7人の子どもがいた。10年前彼女は私に、子どもは4人で十分、と言っていた。その当時、子どもたちの面倒を絶えず見なければならないことを考え、自分のために人生の時間を使いたいという思いを抱いていたのだ。しかし彼の夫のイッサは彼女の望みを聞き入れず、子どもは多ければ多いほど田畑での労働力の足しになり、老後の生活も安心できる、という伝統的な農民の考え方を肯定した。また一方で、首都から村に有効な避妊方法が伝わってきたのは1990年代初めになってからだった。

1995年に報告した話の中で、最も大きく希望にあふれる話もまた、マリアマ自身の人生に直接関係するものだった。10年前、村で初めて、そして唯一FGM(女性器切除)という慣習に反対していたのがマリアマで、彼女自身はFGMを受けていたが、長女のメムナツのFGMは許さなかった。私はこれには大きく動揺した。彼女は夫や村の実力者たちに、この習慣に従うよう強要されないだろうか? それとも、この件は高齢の「良識ある女性たち」の中の誰かに委ねられ、結局メムナツにはカミソリの刃が向けられてしまわないのか?

私が知った結末は、実に珍しいものだった。メムナツに加えて妹のアセタもFGMを受けていないだけでなく、マリアマのような地域の女性たちからの圧力と政府が発信したFGMが健康に与える深刻な悪影響についてのメッセージが相まって、村での風向きは変わった。ほとんど目の見えない村長が私に、FGMをやめるべきだという考えに変わった経緯と理由を語った。そして、以前はFGMに3年かかわっていた高齢の女性までもが、新しい考え方に変えたことを私に話してくれた。

1995年の弊誌特集号「Heart and Soul: ten years of change in an African village(ハート・アンド・ソウル:アフリカの村における10年の変化)」は好評だった。おかげで、さらなる変化を探るために10年後に再度現地取材をするという私の提案は、スムーズに承認された。そして2005年、村は依然として自給自足の農業コミュニティーだった。現金は、おおむね海外からの送金がある場合に限られていた。そして、特に生活に最低限必要なものに関して、さらに多くの発展について報告することがあった(本誌英語版p14-17"Then and Now"の写真を参照。30年での大まかな変化を示している)[訳注:"Then and Now"の一部翻訳をNIジャパンメールマガジン第172号に掲載]。

2005年、わずかだが村でも携帯電話を使用する人が現れた。ただし充電は、電気が通ったばかりの町ガランゴまで行く必要があった。そして2016年の訪問では、以前に比べれば旅の日程は手探りではなくなった。私は携帯電話のテキストメッセージをマリアマに送り、彼女と他の村人たちに私が村に向かっていること、そしていつ頃着くのかを前もって正確に伝えることができた。

 2016年の村

今回の訪問も今までとは変わらない。私は危険もあるミニバイクで旅をし、この雨の季節にはいくつか現れる道路を横切るマリゴ(季節によって出現する小川)もミニバイクで渡った。今回は村でどんな発見があるのか、胸が高鳴っている。未舗装ではあるものの、でこぼこのないびっくりするほどきれいな新しい道路が、アスファルトの主要道路から枝分かれして伸びている。しかしそんな道も、サブテンガ村の中心部まで2~3キロメートルのところで昔と変わらないより普通の柔らかい砂の道になる。

私は、これまでこの村で多くの時間を過ごし、主な目印となる物や建物を容易に認識できるようになっていると自負していた。しかし、最も乾燥した時期に訪れた1985年から最も雨の多い時期の訪問だった2016年まで、毎回異なる季節に訪れており、そのせいで目印はいつもだいぶ違うように見える。あるいは、単に私の記憶があいまいになり、方向感覚もかつてないほどひどくなってきているだけなのかもしれない。しかしどんな理由にせよ、私はなんとか正しい道をたどることはできたが、ある建物の前を保健センターとは気付かずに通り過ぎ、私の古い友人のオウスマネがそこの薬局から出てきて私に声をかけようと追いかけてきてようやくそれに気付いた。

私は帰ってきた。さて今回、人々の暮らしにどんな変化が見られるのだろうか。◆

※写真付の記事は、他の記事とあわせて3月にPDF版に掲載予定。


2017年1/2月合併号NI499p10-12 Journey’s End の翻訳です。c499-100.jpg



  1. 2017/02/15(水) 00:39:22|
  2. 国・地域

【翻訳記事】アフリカで最も才知あふれる若き発明者たち


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画像をクリックするとNIの英語記事のページが開きます。各発明者の写真のキャプションは次の通りです。
写真1枚目:ケニアのキスムにある、トゥクトゥクを電動車にする作業場の予定地を訪れたアレックス・マカリワ。
写真2枚目:エドウィン・インガンジは、ユーザーを効果的で効率的な緊急サービスに迅速につなぐ、ウサラマというモバイルアプリを開発した。
写真3枚目:ジェームズ・ヴァン・デ・ウェルトと彼が開発した箱の中のオフグリッドの電気供給システム「ソーラー・タートル」
写真4枚目:ジェームズ・ヴァン・デ・ウェルトのソーラー・タートルのバッテリーには、リサイクルのボトルが使われている。
写真5枚目:ピーター・ミリアが手にしているのは、彼が開発している階段を上るEコン車いすの小型化した試作機。
写真6枚目:工学イノベーション・アフリカ賞コンテストへ寄せられたモデルや機器。



階段を上る車いすや電動トゥクトゥク[訳注:東南アジアなどで使用されている三輪自動車で、通常はガソリンを燃料とする]は、コミュニティーが直面する課題に地元エンジニアたちが示した答えである。ローレンス・イヴィルの報告。

「999」[訳注:ケニアの警察通報用電話番号]に電話しても、誰にもつながりません」、とエドウィン・インガンジは嘆く。この22歳のケニア人は2014年後半、学校からの帰り道にナイロビで武装強盗に襲われながらも生き延びた。「みんなただ我慢していますが、限界です」

エドウィンは、工学イノベーション・アフリカ賞の候補者として残った16人の技術者のひとりだ。最終選考に進んだ彼らは、2016年11月にロンドンのショーディッジに集まり、自らの経験を熱く語り合い、それぞれが挑んでいるさまざまな取り組みについて議論した。

 困難な環境でも積極的に

エドウィンは、ウサラマというモバイル用アプリを開発した。それは、機能しないケニアの999に対する解決策として、犯罪率の高い地域のユーザーに緊急通報機能を提供するものだ。スマートフォンをシェイクする(振る)と、家族、友人、地域の救援サービスなどに通報者の居場所が伝わり、対応を可能にする。ケニアのモバイル普及率は88%で増加中だ。スマホは4人に1人が持っている。だがエドウィンの望みは、さらにその先をとらえている。「たとえアプリやスマホを持っていない人でも緊急通報を発すれば、それがショートメッセージとして送信されるようにする、というのが私たちの計画です」、と彼は言う。

治安に対する人々の不安に取り組むのは、エドウィンだけではない。工学技術者、ジェームズ・ヴァン・デ・ウェルトの夢は、電気がない南アフリカの地方村落にグリーン・エコノミー[訳注:持続可能な発展を実現するために必要な、環境に優しい経済]を導入することだ。彼が具体的に犯罪に注目するようになったのは、地方村落の学校を訪れた時だった。訪問した12校のうち、11校がソーラーパネルの盗難に遭っていたのである。

彼はヨハネスブルグのことを「世界の犯罪のメッカ」だと言う。そんな町で輸送用コンテナを金属製金庫として使用している業者からヒントを得て、彼は「ソーラー・タートル」という小型移動発電所を考案した。これは、輸送用コンテナ内に電池の入ったリサイクルボトルを置き、それをソーラーパネルで充電するもので、日中はコンテナの外で広げるソーラーパネルを、夜は安全にコンテナ内に格納する。

人々はタートルから電池入りボトルを回収し、それを自宅のシステムにつなげて利用する。 電気がなくなったら充電済の交換用電池を買えばよい。

投資家も地域住民も、犯罪多発地域で機能するイノベーションとして、ウサラマとソーラー・タートルを歓迎した。

 民間市場に賭ける

これら起業家たちの話を聞き、アフリカを席巻する技術革命をたたえるのは容易なことだ。しかし彼らの技術は、投資や支援無しには実現できず、それらを得るのは容易ではないことを誰もが理解している。

多くのアフリカの起業家たちの前に立ちはだかるのが、資金不足、頻発する犯罪、汚職、不安定な政治である。政府による調達(購入)がない場合、多くの発明者たちは自らの社会的イノベーション進めていくために、民間セクターの利用を試みている。

関連記事What will it take to bring electricity to Africa’s poor?(アフリカの貧困層に電気を届けるには何が必要か?)

その好例が、ピーター・ミリアのEコン車いすだ。電気電子廃棄物から作られた彼の発明品は、階段を上り、道路以外の場所も走り、ユーザーを直立させることができ、さらには車いすの機能としては意外なデータ処理ツールにもなる。

その車いすによって、ケニアで障がい者登録をしている150万人が職場に溶け込み、偏見と闘う一助になることを、ピーターは望んでいる。

一方で彼は、Eコン車いすを健常者向けに販売することにも挑戦する。高性能仕様の車いすへの出資者を集め、それを幅広いコミュニティー向けの標準仕様の車いすのコストダウンにつなげようと計画している。

エドウィンも、ウサラマに関して同じような方策をとる。彼のチームは警察や州当局の協力を得ようと働きかけていたが、官僚主義と腐敗に阻まれてからは、警備会社への足がかりを得るため、関係企業と深いつながりのあるケニア警備安全協会(Prosak)と提携した。

エドウィンもピーターのように、やがては貧困層や弱者にも彼のアプリが広がることを期待している。「ひとたび民間の警備会社と手を組めば、政府にその方式の採用を説得する強力な根拠になります」、と彼は言う。

 システムを変える

ケニアの別の有力な候補者に、アレックス・マカリワがいる。大胆なビジョンを持ちながらも語り口は穏やかな青年で、ナイロビの運輸業界において重要な部分を担うトゥクトゥクに革命を起こそうとしている。彼が使用するは、オフグリッド[訳注:電力会社などが電気を供給する送電網から独立している状態]のソーラー充電ステーションのネットワークから動力を得る新型電動車両だ。

「私たちのトゥクトゥクは、日々の使用において、従来のトゥクトゥクよりも運用コストが30~70%安くなることが分かっています。クザ・オートモーティブの基本方針は、持続可能な輸送をもっと使い易くすることです」、とアレックスは述べた。クザにはその電動トゥクトゥクを量産する力はまだないが、需要増加によって販売価格が下がることを期待している。

電動トゥクトゥクの主な課題のひとつが充電時間だ。インフォーマル経済[訳注:定義はさまざまだが、一般的には主に開発途上国で多く見られる経済のことで、政府の管理や規制の影響が少なく公式経済統計にも含まれない露店、行商、廃品回収などから成る経済のことを指す]で働く運転手には、6~8時間の充電時間を待っている余裕がない。アレックスの解決策は簡単だ。「バッテリー切れが近づいたら、残りのバッテリーで数キロ以内にあるカズ充電ステーションまで走り、そこで空になったバッテリーと新しい満タンのバッテリーを交換します」

アレックスは、「アフリカでは電気を得ることが大変大きな問題である」ため、電気を動力源とした輸送手段の大規模な採用については見通しが立っていないことを認める。それでも適切な支援さえあれば、人々は喜んで変化を受け入れるだろうと楽観的だ。

「私たちは、単なる操業したての小さな会社にすぎません。人々の啓発は政府の役割です。政府が持続可能な輸送だけでなく、環境にやさしい技術全般を明確に支援しているところでは、物事は飛躍的に進みました」

 「向上させていくのは私の役目」

彼らの地域社会が直面する喫緊の課題への挑戦について、幻想を抱く候補者はひとりもいない。地域での調達、政府支援、幅広い持続可能な考え方が無ければ、これらイノベーションの多くはとん挫してしまうだろう。

しかしアフリカの若い起業家たちにとって、冷淡な環境や不十分なインフラは、技術的創造力の障壁ではない。

アレックスが、「世の中には先進国と途上国という物差しがあり、人々はそれに従って国を認識する」と端的に言い表しているが、しばしばこれが、リードするグループと後に従っていくグループ、という話を作り上げる。

「しかし私は脳みそを持った人間です。現実に問題のある場所に暮らしているからこそ、私が実際に向上させて解決策を推し進める役を担うのです」

関連特集:2016年5月号メイン記事「人間中心のテクノロジーとは」

工学イノベーション・アフリカ賞は、ロイヤル・アカデミー・オブ・エンジニアリングが創設し、自分たちの地域社会が抱える問題の解決策の開発に向け、サハラ以南のアフリカ諸国のあらゆる分野の技術者の育成を促進する。

アフリカ賞は、アフリカ大陸中から有能な革新的技術者を選び、訓練やアドバイスを行い、素晴らしいアイデアを持つ技術者が起業家として成功するよう支援している。

Africa Prize for Engineering Innovation

by ローレンス・イヴィル

NIブログ記事Meet Africa’s brightest young inventors の翻訳です。

翻訳協力:斉藤孝子



  1. 2017/02/04(土) 00:08:20|
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