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【翻訳記事】世界の国のプロフィール:南スーダン


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サルバ・キール(左)とリエク・マーシャル
Day Donaldson(CC BY 2.0

ジュバ空港からの道(この国では数少ない舗装路のひとつ)の両脇には、荒廃した建物が続く。その建設途中や崩れ落ちた建物は、2011年に多大な努力の末に成し遂げたスーダンからの独立後の希望満ちあふれた日々の名残である。かつてはナイル川沿いの小さな交易拠点のひとつだった首都ジュバも、現在はほこりっぽい町が不規則に広がり、国連スタッフ、軍、隊列を組んで走る自動車があふれる場所になっている。顕著なインフラ不足(首都以外ではより目立つ)は、長い間無視されてきた歴史を物語っている。

英国は1956年のスーダン独立に際し、文化、民族、言語、宗教の点ではっきり異なる南部地域に自治の約束をしたが、実現はできなかった。このことにより、不可避な衝突の扉が開いた。その後、南部地域の自治権を認めた1972年のアディスアベバ合意によって、ささやかな安定への扉が開かれた。しかし1983年、この合意は崩壊し、再び敵意がむき出しとなり、ジョン・ガラン率いる反政府勢力「スーダン人民解放軍(SPLA)」の結成につながった。

国際社会の強力な圧力によって2005年に南北包括和平合意(CPA)が結ばれるまで、ゲリラとの間ですさまじい戦いが続いた。このCPAでは、南部の分離をはかる国民投票の実施が約束された。CPA締結の数カ月後、ジョン・ガランがヘリコプター事故で死亡して副大統領だったサルバ・キールが後を継ぎ、和平合意は危機に直面した。しかし、欧米諸国からの圧力によってCPAは予定通り進み、2011年には南部スーダン人の98.8%が独立に賛成票を投じた。

だがCPAは、2つの問題を完全には解決しなかった。ひとつは、北部と南部の間の厳密な国境の確定(争いが続く石油が豊富なアビエイ地区を含む)。もうひとつは、南部の油田の利益の南北間での分配についてである。独立によって南スーダンは、分離前のスーダンの油田の4分の3を支配下に置いた。しかし油田は内陸にあり、精製施設と輸出拠点があるのはスーダン側だった。スーダンは途方もない通行料を要求し、南スーダンはそれに抗議するため、独立から6カ月後に石油生産停止という捨て身の最終手段に打って出た。

独立時、この新しい国の予算の50%以上を軍事予算が占めていたが、その支出はSPLAを構成する民兵組織(民族ごとに分かれてその関係は複雑)の忠誠を保つために必要なものだった。15カ月間石油収入が途絶えたキール大統領は、当時主導権争いをしていたリエク・マーシャル副大統領など政敵を押さえ込むことができなくなった。キールとマーシャルはそれぞれディンカ民族とヌエル民族出身で、それぞれの民族内では最有力者だった。そして彼らの争いが影響して2013年12月には内戦が勃発した。

どちらの民族も相手民族に対して毎日のように残虐行為を行った。遅々として進まない和平交渉だったが、2015年8月には貧弱な和平合意につながった。その内容には権力の分担に関する提案が含まれていたが、実施まで9カ月以上かかった。しかし2016年7月、ジュバの町で再び激しい戦闘が勃発し、平和維持への期待は打ち砕かれた。

何万という人々が死亡し、230万人が住まいを追われただけでなく、独立以来築いてきたささやかな発展までもがこの衝突によって破壊された。世界の原油価格の下落とパイプラインの関税に加え、石油企業への負債で生じる利子、そしてドナーからの支援が人道活動へ配分し直されたこともあり、政府の歳入はほとんど無きに等しくなった。

この国は現在、政治的、経済的に崖っぷちの状態にある。ハイパーインフレーションに加え、ふくれあがった軍隊に間もなく支払いが滞るであろう軍事費のこともあり、さらなる不安定化は避けられない。地域仲裁活動の専門家であるベルナール・スヴァは、「戦争の前、地域コミュニティーがしっかりしていたが、現在その地域コミュニティーは破壊されてしまった」と述べた。南スーダンの歴史は紛争と貧困の歴史だが、その未来はこれまで以上に厳しいように思える。◆

by エレノアー・ホブハウス

データ   170101Flag_of_South_Sudan.jpg

指導者:サルバ・キール大統領
経済:1人当たりの国民総所得(GNI)は790ドル(スーダン1,710ドル、英国43,430ドル)。独立前の2010年は1,060ドルだった。
通貨単位:南スーダンポンド(SSP)
輸出:南スーダンの輸出のほとんどを占めるのが石油で、GDP(国内総生産)に占める割合は約60%。しかし国民のほとんどは、農業や家畜飼育で自給中心の生活を送っている。石油価格の下落によって大打撃を受け、通貨は暴落し、インフレは300%に達した。
人口:1,230万人。人口増加率は年3.0%。現在人口は2000年の倍になっている。人口密度は1平方キロメートル当たり21人(英国267人)。
保健:1,000人当たりの1歳未満児死亡数(乳児死亡数)は60人(スーダン48人、英国4人)。衛生的な水を利用できているのは人口の55%で、適切なトイレを利用できているのは15%のみ。妊産婦死亡の生涯リスク[訳注1]は26人に1人(英国5,800人に1人)。HIV感染率2.5%。
環境:国土の大半は乾燥地帯で、過放牧による草地の劣化に苦しむ。国を貫いて流れる白ナイル川は季節によって川幅が広がり、広大な湿地帯を生み出す。国民1人当たりの二酸化炭素排出量は0.1トンである。
民族:最大で64の民族が確認されている。最大の民族はディンカ民族で、人口の35%近くを占める。一方ヌエル民族は人口の16%あまりを占める。どちらの民族もより大きなニロティック系民族グループに属し、そこにはより小さな遊牧民族も含まれる。アザンデやバリなど南部では定住農業が行われている。
宗教:キリスト教徒61%、イスラム教徒6%、伝統的なアフリカの宗教(複数)33%。
言語:公用語は英語。アラビア語は広く使われている(首都で使われるシンプルな形式の「ジュバ・アラビア語」も含む)。ディンカ、ヌエル、バリ、ザンデなど、地域言語が約80使用されている。
人間開発指数[訳注2]0.467で、188カ国中169番目(スーダン0.479、英国0.907)。

訳注1:妊娠や出産時、あるいはそれに関連する病気で死亡する生涯にわたるリスクのこと。妊産婦死亡率は1回の出産に対するリスクとなるため統計の取り方が異なる。
訳注2:国連開発計画の「人間開発報告書」で使用されている、各国の人間開発の度合いを測るための経済社会指標。0から1で示され、1に近いほど個人の基本的な選択肢が広く人間開発が進んでいるとされる。

NI五つ星評価
(南スーダンは今回が初めての評価)

とても良い ★★★★★
    良い ★★★★
    普通 ★★★
    悪い ★★
   ひどい ★

所得配分 ★
人口の半分近くにあたる510万人が食料の支援を必要としている。その一方でわずかなエリートが、国の資源や財産をかすめ取る人間達とつながって莫大な財産を築いていると言われている。

平均寿命 ★
56歳(スーダン64歳、英国81歳)。世界の順位では下から11番目。

女性をめぐる状況 ★★
政府上級職と議会では、女性の割合が25%として決められている。しかし昔からの家父長制度が根強く、学校に通っている女児は33%にすぎず、先日の衝突では女性に対する暴力が劇的に増加した。

自由 ★
報道の自由インデックスでは180カ国中140位で、過去2年間で21も順位を落とした。2016年6月に起こった学生の抗議活動に対して、治安部隊が激しい弾圧を行った。しかし一方で「2016年NGO法」には、制限的な条項や政府の監視を牽制する内容も含まれている。

識字率 ★
推定で27%。6~17歳の子どもたちの70%は学校に通ったことがない。

セクシャルマイノリティー ★★
男性間性交渉は違法で、10年の禁固や懲役となる(これは、スーダンの英国植民地時代の法律がもとになっている。女性間に関しては言及がない)。社会では差別が広がっている。

NIによる総合評価

政治 ★

ハルツームのスーダン政府との数十年にわたる戦争の間、政府は自らの行動に関して説明責任を果たしてこなかった。この姿勢が新しい政府にも引き継がれている。世界で最も新しい国は、慢性化した腐敗に悩まされ続けている。身の毛もよだつ恐ろしい内戦は、国の資源や資金を支配する目的で行われている、ライバル民族のエリートたちが後押しするネットワーク同士の主導権争いに端を発している。衝突において両陣営は、民族間の分断を積極的に利用し、どの勢力も裁きを受けることなく今も悪事を働いている。そして政府は、悪化する経済的、政治的危機に対して、市民の自由を制限するという対応をとっている。


2016年12月号NI498英国版から「Country Profile: South Sudan」の翻訳です。


  1. 2017/01/01(日) 17:31:13|
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