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【翻訳記事】ある一夫多妻家族の父親


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写真は73歳のアダマ
(画像をクリックするとNIの英語記事のページが開きます)


4人の妻と26人の子どもたち…。農業事業の経営者…。アリマタの看護師の夢…。

ゼナブーとアダマの一家は、サブテンガ村の中心から離れたビディガという場所に住む。1985年、ゼナブーの物語を撮影して映画を作った際には、私たちはその場所を拠点にした。彼女は、ガランゴ地区の当時の地区長の娘だ。村では地位が下になるアダマに恋をし、結婚をした。私たちがゼナブーに会った時、アダマにはすでに2人目の妻マリアムがいた。そして私たちがいる間に新しい子どもが生まれて洗礼も行われた。

1995年にブルキナファソを再訪した際、私はゼナブーの居住地「コンセシオン」[訳注:マリアマのコンセシオン内部の様子はこちらのYoutubeから視聴できる]から少し丘を登ったところにある以前と同じ家に滞在した。私が着いて1週間が過ぎたころ、腰が抜けるほどの発見があった。アダマと話をしていた時、彼の知人、あるいはもしかすると娘かと思っていた女性が、私たちの前を通り過ぎてまっすぐアダマの家に入っていった。よく見た光景のような気がして、私は身を乗り出してアダマに彼女のことを尋ねた。そして分かったことは、彼女はアダマの新しい4人目の妻のビンツで、まだ16歳だということだ。

私は、一夫多妻が普通という社会に滞在しているということは理解していたが、それでも毎日のように驚くことがあった。男女の関係に関する概念は、私たちとは根本的に異なるのだ。ビンツが、当時52歳のアダマには孫と言っていいほどの年齢であることはひとまず置いておいて、彼が4番目の妻をめとるべきだと考えたのは非常に特殊なことのように思える。依然として不思議なのは、ビンツが彼の古い友人の娘で、最初は彼の息子ハマルの結婚相手として紹介されたということだった。ハマルがその話を断ると、アダマが代わりに結婚すると申し出た。これには「慈悲」の側面もあったようだが、それもすぐに気にならなくなったようだ。彼女は自分の寝室もまだなく、毎晩アダマの家で寝ていたが、そのことに対しては他の妻たちから軽いひやかしの言葉が投げられた。その理由は、夫はどの妻にも公平に好意を持って気配りすることが求められているからだ。

 「若い男はとても愚かだわ」

私が直接ビンツに尋ねた時、彼女は若い男はとても愚かなので年齢は上の方がいいと言った。もちろん彼女は、児童婚で搾取されているとは思っていない。彼女と両親は、経済的に安心できることを判断して結婚に同意したのだろう。アダマは稼ぎ手としてしっかりしていたし、地域のマラブ(イスラム教聖職者)として信頼も非常に厚かった。

経済的には期待通りだった。私は訪問のたび、アダマの農民として取り組む姿勢(経営者としても)には感心させられた。正直に言うと、今振り返れば、私たちが制作したドキュメンタリー映画『Man Made Famine(人間が生み出した飢餓)』は、彼の名誉をやや傷つけていた部分があった。私たちは映画の中で、アフリカの女性たちがたくさんの食料を栽培しているにもかかわらず、それが政府や援助団体に概して無視されていることについて重要な指摘を行った。そしてその中に、アダマが大きな態度で女性の方が男性よりも働き者であることを認める象徴的なシーンがあった。「彼女がとても一生懸命働き、疲れていることは私自身分かっていたよ。でもね、伝統と習慣が、私に彼女を手伝うことをやめさせたんだ。その場所でその仕事をするのは女性と決まっていた。私が彼女を手伝うべきだなんて、思わなかったよ」

しかしアダマはその時は、主に家事について語っていた。農作業については、彼が主要な責任を負っていることは間違いないし、重労働も進んで行っている。彼は常に畑に出ているので、話を聞く時間をとるのが難しいくらいだ。ある日、彼の孫のンワディサに、畑にいる彼を一緒に探して彼のもとに連れていってくれるように頼んだ。するとそれは、主要道路の反対側にある農地までのかなり長い旅となった。その農地は、ジグソーパズルのように区切られた田んぼになっており、貯水池から水が引かれていた。今までこの村で見たこともなかった新しい灌漑システムを使用していることに私は感銘を受けた。以前は、この村のような乾燥した場所でこんな水田が可能だとは考えたこともなかった。

 ズボンをまくって田んぼの中へ

いつもの通りアダマは、私とおしゃべりをして時間を浪費するよりも、仕事を終わらせることへの関心の方が強かった。娘たちが苗代の苗で田植えするため、彼は田んぼに向かって準備に集中していた。私は何もせずに日陰に座っていることに少々居心地の悪さを感じていたところ、娘のひとりから冗談めかして手伝ってくれないかと言われ、私は性急に靴を脱ぎ、ズボンのすそをまくり、寄生虫によって住血吸虫症にかかるリスクも顧みず、彼らの作業に加わった。2005年にこの家族と一緒に綿花を摘んだ時と同じように、私が二つ返事で協力したことに彼らは喜んだ。

この田んぼは農業協同組合活動の一環で、アダマはその組合で灌漑担当グループのリーダを務めていると彼は説明した。道路の反対側ではこのような灌漑は不可能で、明らかにこちらの農地の方が有利である。また、村人たちが化学肥料に切り替えたのは7年前からだが[訳注:ある日村に農学者がやってきて化学肥料の効果を説明したが、村人たちは家畜のふんで十分と取り合わなかった。しかし化学肥料を使用した農民の収穫量増加を目の当たりにし、次々と化学肥料に切り替えていった]、彼は数十年にわたって化学肥料を使っている。彼は70代半ばで、私たちの社会ではその年になれば退職後の人生を楽しむこと以外は考えないだろう。しかし彼はますます活動的になっている。

このような状況で、おそらく彼の4人の妻は経済的な面では不満はほとんどないだろう。1995年、若い妻たちが家に迎えられたことに対し年齢が高い妻たちが適応していく中で、彼女たちの不満にはうすうす気付いていたが、今日のような状態になっていくことはおそらく自分でも分かっていた気がする。2005年と2016年には、他の妻たちがいることで家事を分担できるメリットがあるという基本的な考え方に基づき、妻たちはとても仲の良い姉妹のような感じになっていた。

そして現在、なんという大家族になったのだろうか。子どもは26人となり、孫は何人いるのか正確には分からない。その中の最年長の娘2人のうちのひとりが、2006年5月号のNIの表紙を飾ったサラマトゥである。1995年に会った時、彼女は聡明な女の子で学校に通っていた。私はアダマに、将来彼女が中学校に行く学費を払うつもりなのかあえて尋ねてみた。すると彼は、そうするつもりだと答えた。

2005年に再訪した時に最も落胆したことのひとつが、彼がそうしなかったことだ。そのため彼女は伝統的な結婚年齢である17歳で結婚するほか選択肢はなく、彼女の夫の家族と暮らしていた。近くの村に彼女と彼女の生まれたばかりの赤ちゃんを訪ねて行った時、彼女の置かれた状況に私はショックを受けた。彼女の夫は仕事を探しにコートジボワールへ行き、いつまた一緒の暮らせるのかは分からない状況。そして彼女は夫の家族と一緒に暮らしていたが、実家での健康的な暮らしに比べれば厳しい状況にあった。

幸いにも今回の訪問で、少し良いニュースが聞けた。サラマトゥは現在夫と3人目の子どもと一緒にコートジボワールのアビジャンに住んでいる。そして2人の娘ンワディサとレイラはサラマトゥの両親と一緒に暮らしており、サブテンガ村の学校に行くことができるという。

また、私の横で田植えをしているビンツの娘のアリマタは、21歳だが現在も学校に通っている。このことを考えると、アダマはおそらく女の子の教育に関して考えを変えたのだろう。アリマタは、薬剤師か看護師になることを目指している。



2017年1/2月合併号NI499p20-21 Autumn of the Patriarch の翻訳です。c499-100.jpg



  1. 2017/02/01(水) 23:29:40|
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