NIジャパンブログ

【翻訳記事】狙われる人権活動家


20170331ヤルムーク
食料配給を待つ人々、2014年1月下旬ヤルムークにて。
Jordi Bernabeu Farrús (CC BY 2.0


シリアの内戦において、政府、反政府のどちらの陣営からも繰り返し襲われるアブドゥラ・アル・カティーブ。しかし、彼はそれでも声を上げることをやめない。このパレスチナ系シリア人の活動家が、エリン・キルブライドに語ったこととは。

アブドゥラ・アル・カティーブは、彼の恋愛生活について質問しないジャーナリストは信用できないと言った。私が彼にインタビューしたのは月曜日の昼だが、彼はその週すでに新聞6社の取材に対応し、ヤルムーク難民キャンプでの人権活動についてインタビューを受けていた。話した内容は、戦争、パレスチナ人の権利、殺害予告、彼の現在の活動がすべてで、彼に恋人がいるのかどうか、誰からも一度も質問はなかったという。

私たちの会話の最後に彼は言った。「質問され、それに答え、次の質問がきて、それに答える。私が人を愛するのかどうか、気にしている人はいないようですね」

彼のこれまでの劇的な日々を振り返れば、ジャーナリストたちが彼の個人的な生活について聞きもらした理由も容易に理解できる。2014年と2015年ヤルムークが包囲された時、メディア、人権団体、援助関係者は、15万人の飢えた難民キャンプ居住者に関して必死に情報を求めていた。パレスチナ人の人権擁護活動家アブドゥラは、その主な情報提供者のひとりとなったのだ。

包囲の前、そしてつまりシリア内戦が始まり、ISISが現れ、世界がヤルムークに関心を持つようになるずっと前から、アブドゥラはシリアのパレスチナ人コミュニティーの維持に奔走する多くの若い活動家のひとりとしてキャンプ内では知られた存在だった。

現在27歳のアブドゥラは、パレスチナ人青少年サッカークラブに9歳で加入したことを自身の積極的な行動主義の原点として挙げた。彼は、自分たちは存在しているだけで迫害を受けていたため、コミュニティーを育んでいくこと自体が抵抗の実践になる、と語った。

彼はいくつかの青少年開発組織を立ち上げ、地元のサッカーチームのコーチをし、彼が住む近隣で行われた食料配給の国際支援活動を手伝い、国際監視員が閉め出された時には人権報告を作成した。

バシャール・アル・アサド政権への革命の初期からそれを支持し、積極的に活動していたアブドゥラは、2回以上命を落としかけた。彼は、政府だけでなく、ヌスラ戦線やイスラム国(ISIS)といった武装勢力にも何度も命を狙われた。

ISISのメンバーは、彼は神を冒とくし、「世俗的で神を信じないプロジェクト」を率いているとして、ダマスカス中のモスクで彼に反対する活動を行った。2015年4月、ヤルムーク全体がISISの支配下にほぼ落ちかけた時期、民兵が彼の家を急襲した。アブドゥラはなんとか捕まらずに脱出できたが、それは2カ月足らずの間に起こった2度目の誘拐未遂だった。

2016年6月には、彼は危うく殺されるところだった。ISISは後に犯行声明を出したが、その時彼は胸を撃たれて危険な状態となり、それ以来身を隠した。

問題はISISだけではなかった。銃撃を受けてから1カ月もたたないうちに、地元のシリア・イスラム委員会から出頭するよう連絡があった。その委員会は、難民キャンプの西に位置する反政府勢力支配下の町ヤルデルにあったが、当局者らはヤルムーク子どもプログラムで「女児に水泳を教えた」ことに憤慨していた。

暴力的、抑圧的なグループは、ヤルムークや全国で活動するアブドゥラのような人権擁護活動家たちが平和的な活動を通じてコミュニティーを守り、支援し、殺人者に対してはその責任を追及しているため、彼らを抹殺しようとしていた。

ヤルムーク難民キャンプが包囲されて人々が飢えた時、アブドゥラは食料生産のためにコミュニティー菜園プロジェクトを立ち上げた。民兵組織が兵士にする子どもを集めた時、彼は社会心理学的な支援をして子どもたちの家族に寄り添った。人権組織がISISの残虐な振る舞いを調査しにキャンプ内に入れなくなった時、彼は写真、音声、報告を国際ジャーナリストに送る手はずを整えた。

ヤルムークで20年近くにわたって活動してきたスキルをどのように身につけたのか尋ねた時、彼は単純に次のように述べた。「私たちはパレスチナ人です。生き延びていくことに、とても、とても長けているのです」

数万人に上るヤルムークの住人の大半は、1948年のイスラエル建国により勃発した戦争で故郷を追われたパレスチナ人の子孫である。シリア内戦当初から、ヤルムークは何度も爆撃され、包囲され、化学兵器による攻撃を受けた。そして今度は、故郷からここにたどり着いたパレスチナ人難民の2世、3世が追い立てられたのである。

現在、にわか作りの難民キャンプがヨーロッパのあちこちにできているが、どれがパレスチナ人のキャンプかは、彼らの言葉のアクセントを聞かなくても見分けることができるだろう。ギリシャの難民キャンプで携帯電話充電ステーションを作り、親類の子どもたちに少額の使用料を徴収させていたのがパレスチナ人たちである。

彼らはまた、並外れた活動家だ。

アブドゥラは語る。「人々を思いやる場合、負うべきことは全体に及びます。もし誰も道路清掃をしなければ、私が道路を掃除します。爆撃の後に火事になって誰も消火しなければ、私が消火します。住民が直面する危険について誰も報告しなければ、私が報告の書き方を習う必要があります。それは私たちの義務です。革命的な義務、宗教的な義務、住民としての義務なのです」

アブドゥラは、むしろ活動家とは言えないような活動を多数行っている。彼は教えることが大好きで、ヤルムークの青少年サッカーリーグでコーチをしていた時は最高にうまく教えられたと言う。

援助スタッフは面白いことはあまりなく、わくわくすることもめったにない、と彼は述べた。食料配給はきつくて寒く、シリアの冬は特にそうで、どの家族に米を渡すのかを決める役割になった時、怒りの矛先が向けられやすくなるという。

アブドゥラは、シリアや他の紛争地帯では、活動家と人道支援スタッフの境界ははっきりしていないのではないかと感じている。「難しい点です。『いいえ、私はそれはやりません。私は人道支援スタッフではなく、人権活動家だからです』とは言えないのです。何でも対応するように準備をしておく必要があります。もしそうでなければ、活動家は務まりません」

もし、政府あるいは武装勢力が、民間人を兵糧攻めにしようと考える場合、食料を迅速に人々に配給する人道支援スタッフは、難民キャンプで最も目立った活動家になる。2015年にISISがヤルムークを占領した時、ISISがアブドゥラの暗殺を公に呼びかけるようになるのに1年もかからなかった。彼はこのことについて、外国メディアと連絡しながら行われていた彼のコミュニティー食料プログラムが大きな要因になっていると考えている。

アブドゥラがとても強調していたのは、ほかにもたくさんの人々が彼のように取り組んでいるということだ。6年にわたりシリアの活動家たちは、シリアで起こっている戦争と人権侵害に関して最も洞察に富んだ決定的な報告を提供してきた。それは活動家にとって、しばしば身を危険にさらす行為である。彼らはその活動が原因で拘束されたり、拷問されたり、行方不明になったり、殺されたりした。包囲されたコミュニティーと戦時下の国においては、人権擁護活動家がより重要な命を救う役割を担う。

2016年の終わり、反政府勢力最後の支配地域だったアレッポが政府によって奪還されようとしていた時、人権擁護活動家たちは引き続きがれきから子どもたちを救出し、医療対応の調整をし、継続する爆撃に関する報告を録音してジャーナリストに送るといった活動に時間を割いていた。

彼らはアブドゥラのように、活動家、援助スタッフ、戦地通信員、コミュニティー・ボランティアという役割を一手に担っていた。彼らは、アレッポで行われている暴力のまさに目撃者で、国連、外国の援助団体、国際人権団体、メディアにとって唯一の信頼できる情報源なのである。

彼らは少しでも多くの命を救うための対応に追われている上、これまでの事例からもインタビューを受けることが彼らの拘束のリスクを高めてしまうことが分かっている。それにもかかわらず報告活動をするのだ。

アブドゥラは、周囲に知られていてリスクが高い活動家と、可能な限り静かに暮らしている人々の間には、平均寿命で50歳ほど差があるのではないかと考えている。

彼は過去に多くの組織から命を狙われ、すでに死んでいたかもしれないが、だからといってそれが黙ることの合理的、あるいはやむにやまれぬ理由には当たらない、と考えていると述べた。

「今日か、あるいは100年のうちに、どちらにしても今地球上に生きている人は誰もが死を迎えます。従って私たちにできる唯一のことは、生きている間に他の人々のためになることする、そう取り組んでいくことなのです」◆

エリン・キルブライドは、フロント・ライン・ディフェンダーズで働く。
http://frontlinedefenders.org


2017年3月号NI500p18-19 Everybody's target の翻訳です。c500-100.jpg



  1. 2017/03/31(金) 23:01:00|
  2. 暴力・平和・人権