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【翻訳記事】西パプアの市井の人々の声


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ロサ・モイヴェンド


インドネシアによる占領は、普通の西パプア人の暮らしにどのような影響を及ぼしているのだろうか? インドネシアの人権弁護士、ベロニカ・コマンが、現在西パプアに住む人々に話を聞いた。


170611Morning_Star_flag_30.jpg ロサ・モイヴェンドは、社会運動と自決について研究する独立した研究者で、また政治活動家でもある。彼女は西パプア最大の都市、ジャヤプラ在住だ。ロサの話を聞いてみよう。

西パプアに住んでいると、常に何かしら占領を意識させることが起こります。毎日、人種やその他のいろいろな差別、暴力などを目の当たりにします。

さまざまな形の差別が毎日行われ、それが西パプアでは普通のことになっています。インドネシアによる占領は、単に土地の占領だけでなく、自分たちが自分たち自身をどう見るかという、私たちの考え方を変えることにもつながっています。学校で私たちは、特に私たちの歴史に関してうそを教えられてきました。それは一種の心理的隷属です。インドネシアの教育内容と原則によって、「私たちは西パプア人だから、不公平に扱われても仕方がない」と教え込まれてきました。

インドネシア政府が行う私たちのアイデンティティーの操作は、私たちを根幹から変える非常に危険なものです。私たちの規範が、インドネシアの規範に置き換えられているのです。

私はこれを直接体験しました。私は以前、地元テレビ局の午後のニュース番組でアナウンサーをしていました。当時私は髪の毛を細かいドレッドヘアにしていました。番組のプロデューサーが、髪型を変えるように私に言いました。国営テレビの基準に沿って「もっとこぎれいに」見えるように、ドレッドヘアを伸してストレートにするようにと言ったのです。私は、この番組「パプア・レンズ」では、パプアらしさを出すべきだと主張しましたが、番組側は私の交代希望を出しました。その後、私はカメラに写らない仕事に異動され、結局番組を辞めました。私は現在もドレッドヘアです。

2006年3月16日ジャイプールで、ドレッドヘアの人がみな逮捕され、髪の毛を切られてしまいました。こんなことが2週間続きました。この間多くの先住民たちが自ら髪を切りました。私はそんなことをしたくなかったため、長い間隠れて家に帰りませんでした。ドレットヘアは、単なるヘアスタイルではありません。私たちがドレッドヘアにしているのは、レゲエが好きとかラスタ主義[訳注*]を信奉するからといった意味ではなく、イデオロギーなのです。それは私たちのアイデンティティーなのです。ドレッドヘアの友人の多くが私と同じように感じています。ドレッドヘアは、自由な西パプアのシンボルになりましたが、それはインドネシア政府によって思い知らされたことに対する挑戦です。

私がまだ小さく学校に通っていた頃、ストレートの髪の毛の人を見るたびに、私も長くまっすぐな髪の毛だったらと夢見てきました。誰もがそう思っていました。子どもが遊ぶおもちゃでさえ、他の人々のアイデンティティーを反映したおもちゃでした。それは、化粧品でも同じことでした。店では、私たちの皮膚の色に合うようなフェイスパウダーは売っていなかったのです。

幸いなことに、現在非常に強い抵抗が起こっており、支持を集めています。「私は、カーリーヘアと褐色の肌を持ったパプア人です」とプリントされたTシャツが多数出回っており、いろいろな都市の若者の間で人気が出てきています。この解放運動は、物理的な抵抗だけでなく、私たちの考え方にもかかわるものなのです。

女性たちは常にこの運動に参加してきました。ただ、男性とは異なる役割を担ってきました。西パプアの男性たちは、女性たちが担っている役割の重要度を低く見て、それほど勇敢ではないと言います。しかしこれは真実ではありません。なぜなら、女性たちは特に重要なリーダーシップで役割を担い、抗議活動がある時には積極的に街に繰り出しているからです。ママ・ヨセファ[ヨセファ・アロマング、2001年のゴールドマン環境賞受賞者]は、学校にも行っていない村人ですが、空港とフリーポート社の鉱山の封鎖のために、女性たちを組織化しました。男性には思いつかないことです。

現在状況は変化しています。運動はより開かれ、進歩しています。女性はより多くの、そして異なる役割を担っています。これは国家的な苦闘で、男女ともに責務を負っています。すべての世代の人々が、協力し合って取り組んでいく必要があるのです。

*訳注:1930年にジャマイカで始まった社会宗教運動。エチオピアのハイレ・セラシエ1世を生き神としてあがめ、アフリカ出身者の地位向上を目指した。自然体に価値を置き、長髪や自然食・菜食などにそれが現れている。



170611Morning_Star_flag_30.jpg ハナ・イェイモは、西パプア中央部にあるパニアイ県エナロタリでサツマイモを生産する農家だ。2014年12月8日、地元の10代の子どもたち4人が、ハナの家の近くで治安部隊に銃で撃たれて殺された。当時彼らは、その前日に起こった兵士による児童殴打に対する抗議活動を行っていた。ハナの話を聞いてみよう。

私は結婚をし、11歳の子どもがいます。、農作業をする以外は、普段は友人たちとトランプを楽しんでいます。

警察や軍は、1日中私たちを見張っています。特に軍は、どこであろうとかまわずに私たちに向けて銃を撃ちます。

畑の方から銃声が聞こえたのは朝9時頃でした。私は様子を見に行きました。西パプア人に向かって、警察と軍が銃を撃っていました。私はその治安部隊と人々の間に入って立ちふさがりました。治安部隊は、私にどくように命令し、「撃つぞ」と言いました。私はかまわずに彼らに向かって、撃ってみなさい、と大声で叫びました。彼らは私の目の前で人々を撃ちました。私は物を投げつけ、もう少しで部隊の司令官に当たるところでした。私の親戚は、逮捕されてしまうからあんなことはするな、と言いました。しかし私は気にしませんでした。単に彼らを追い払いたかったのです。私は、どこかで分からないうちに射殺されるよりはましと思い、声を振り絞って彼らに自由と独立を要求しました。その日、私は声が出なくなるまで叫んでいました。

その畑では、子どもたちが軍に撃たれて死にました。そのほかにも多くの負傷者が出ました。私は、車の中にいて撃たれた人々を介護しました。私のいとこも被害者のひとりです。その他の被害者も、全員私の知り合いです。彼らはこの事件についてもはや語りたいとは思っていません。状況が変わらないまま、同じことが何度も繰り返されることに嫌気がさしているのです。


原文と他のインタビューは、NI UKサイトVoices from the groundでも読むことができます。

2017年5月号NI502 p20-22Voices from the groundの一部翻訳です。c502-100.jpg



  1. 2017/06/11(日) 14:49:19|
  2. 政治・国際関係